1936年(昭和11年)12月11日
牧松雄・はるの三男として東京市豊島区椎名町3丁目(現在の目白5丁目)に生れる。姉1人、兄2人の4人きょうだいの末子である。父松雄は日本画家で一時、下村観山に師事したこともあったが、召集された訓練中に銃剣が眼に入り絵が描けぬようになり、ビラ描きの仕事で生計をたてる。
1943年(昭和18年) 6歳
4月 東京都豊島区立長崎第四国民学校に入学する。戦争が激しさを増し、良く1944年、父方の親戚 のある秋田県平鹿郡十文字に疎開する。
1945年(昭和20年) 8歳
この年、東京に戻るが空襲で生家を焼かれ、本郷区駒込林町1丁目(現在の文京区千駄 木)に転居、本郷区立千駄木国民学校に転校する。
1949年(昭和24年) 12歳
3月 本郷区立千駄木国民学校を卒業する。
4月 文京区立第九中学校に入学する。小学校4,5年生のころから父の手伝いをし、かたわら日本画家の手ほどきを受ける。また一時、油彩 画の個人指導も受ける。
1952年(昭和27年) 15歳
3月 文京区立第九中学校を卒業する。日本画家を志し日本画の指導を受け始める。
4月 春の青龍展の会場で川端龍子に出会う。作品を観ていると声をかけられ、一度家に遊びに来るよう勧められる。
5月5日 川端龍子に内弟子として入門する。しばらく自宅から通うが、やがて大森の川端邸に住み込む。以後1966年4月に川端龍子が逝去するまで、この御形荘で修行を続ける。
1957年(昭和32年) 20歳
8月 青龍社第29回展に《白薔薇》を出品、初入選する。(以後、青龍社解散まで毎回出品)
1958年(昭和33年) 21歳
3月 春の青龍展に《春一日》を出品、春季次賞を受賞する。(以後、青龍社解散まで毎回出品。)
9月 青龍社第30回展に《訪蝶》を出品、入選する。
1959年(昭和34年) 22歳
3月 春の青龍展に《もみじ》を出品、春季次賞を受賞する。
9月 青龍社第31回展に《緑庇》が入選、社子となる。
1960年(昭和35年) 23歳
3月 春の青龍展に《銀杏黄葉》を出品する。
8月 青龍社第32回展に《雨華》を出品する。
1961年(昭和36年) 24歳
3月 春の青龍展に《梅》を出品する。
9月 青龍社第33回展に《花の屋根》を出品する。
1962年(昭和37年) 25歳
3月 春の青龍展に《夜の梅》を出品する。
8月 青龍社第34回展に《花菖蒲》を出品、奨励次賞を受賞する。
1963年(昭和38年) 26歳
3月 春の青龍展に《椿》を出品する。
8月 青龍社第35回展に《神苑の五月》を出品、奨励賞を受賞する。
1964年(昭和39年) 27歳
2月 春の青龍展に《浪速薔薇》を出品、奨励賞を受賞する。
9月 青龍社第36回展に《梅紅白》を出品、奨励賞を受賞する。
1965年(昭和40年) 28歳
3月 春の青龍展に《胡蝶花》を出品、春展賞を受賞する。
8月 青青龍社第37回展に《秋色》を出品、社友となる。
1966年(昭和41年) 29歳
3月 の青龍展に《椿》を出品する。
4月 師川端龍子逝去する。
5月 青龍展、解散する。青龍展解散後は、無所属画家として個展を中心とした制作活動に入る。
この時期、同門の横山操に無所属画家としての助言を得る。
1967年(昭和42年) 30歳
9月 最初の個展、牧進日本画展《華》が銀座・松坂屋で開催される。(名古屋・大阪を巡回。)
1968年(昭和43年) 31歳
4月 第17回五都展(東京美術倶楽部)に《花菖蒲》を出品、以後出品を重ねる。
10月 島村由利子と結婚する。
1969年(昭和44年) 32歳
3月 第1回春暉会展(春風洞画廊)に《椿》を出品、以後出品を重ねる。
1970年(昭和45年) 33歳
3月 牧進作品展<華によせて>が村越画廊とフジヰ画廊で開催され、26点を出品する。
7月 第1回昭和会展(京都府立文化芸術会館)に《双鯉》を出品、以後出品を重ねる。
10月 奥村厚一・牧進二人展が一哉堂画廊で開催され、《鯉》四題を出品する。
12月 第1回美苗会展(北辰画廊)に《早春鱗》を出品、以後出品を重ねる。
1971年(昭和46年) 34歳
2月 第2回昭彩会(銀座・松屋)に《藤下鱗》を出品、以後出品を重ねる。
5月 長男大剛生れる。この年、川端康成の知遇を得る。
1972年(昭和47年) 35歳
2月 牧進日本画展-春夏秋冬-が日本橋・三越本店で開催され、14点を出品する。
4月 川端康成逝去する。
1973年(昭和48年) 36歳
12月 第1回晨星会展(一哉堂画廊)に《長閑》を出品、以後出品を重ねる
1974年(昭和49年) 37歳
4月 牧進作品展が村越画廊で開催され、16点を出品する。
6月 次男大哲生れる。
第1回川端康成文学賞の設定にあたり、表彰状に添える作品を制作、以後毎回制作する。
10月 74'リュミエール展(日本橋・高島屋)に《陽》を出品、以後出品を重ねる。
11月 牧進作品展<花に彩す>が姫路・山陽百貨店で開催され、15点を出品する。
1975年(昭和50年) 38歳
2月 今日の日本画-第3回山種美術館賞展(山種美術館)に《叢》を出品、優秀賞を受賞する。
1976年(昭和51年) 39歳
3月 牧進小品展が村越画廊で開催され、ミニチュア作品60点を出品する。
12月 60周年記念尚美展(日本橋・壷中居)に《春思》を出品する。
1977年(昭和52年) 40歳
2月 今日の日本画-第4回山種美術館賞展に《幽邃》を招待出品する。
11月 牧進十二ヶ月軸装展がギャラリー広田美術で開催され、12点を出品する。
1978年(昭和53年) 41歳
4月 上村淳之・牧進・三輪良平三人展が一哉堂画廊で開催され、《花王》《鉄線花》を出品する。
1979年(昭和54年) 42歳
5月 ソ連文化相の招きで日ソ美術友好使節団(団長・河北倫明)の一員としてソ連を訪問する。
79'昭和世代日本画展(日本橋・三越)に《閑雅》を出品する。
1980年(昭和55年) 43歳
3月 第2回日本秀作美術展(日本橋・高島屋)に《閑雅》が選ばれ出品される。
この年外務省の依頼により《富貴花》を制作する。
1981年(昭和56年) 44歳
2月 第1回次代への日本画展(日本橋・高島屋)の運営委員をつとめ《閑寂》を出品する。
3月 牧進春夏秋冬屏風展<紋様によせて>が日本橋・三越本店で開催され、屏風24点を出品する。名古屋・札幌を巡回。
4月 京都・ふたば書房から『牧進-現代の屏風絵』が刊行される。
7月 第1回渓声会展(三渓洞画廊)に《夏めく》を出品、以後出品を重ねる。
第2回明日の日本画展(名古屋・松坂屋本店)に《閑庭》を出品、以後出品を重ねる。
8月 NHK教育テレビ番組ジュニア文化シリーズ「三次元に挑む-遠近法のなぞ」に出演、放映される。
外務省の依頼により《愛華麗盛》制作準備のためASEAN5カ国を訪問する。
11月 「現代日本美術の展望-日本画」展(富山県立近代美術館)に《閑雅》《環》が出品される。
《愛華麗盛》完成、ASEAN本部に寄贈される。
12月 第13回潮音会(フジヰ画廊)に《朧夜》を出品、以後出品を重ねる
1982年(昭和57年) 45歳
2月 第2回次代への日本画展の運営委員をつとめ《長閑》を出品する。
3月 第4回日本秀作美術展に《環》が選ばれ出品される。
4月 『日本経済新聞』夕刊連載の邱永漢「食指が動く」の挿絵を制作する(6日から1983年3月30日まで101回連載される)。
10月 日本の四季展<三栖右嗣・牧進>が北辰画廊で開催され、二曲一双《春秋屏風》と《蝶の四季》四題を出品する。
1983年(昭和58年) 46歳
2月 東京都小平市役所が竣工、依頼により壁画《樹下喜憂》を制作、完成する。
4月 雪月花展<川崎春彦・鈴木竹柏・牧進>が銀座・松屋で開催され、《雪》《花》《月》を出品する。
5月 83'昭和世代日本画展(日本橋・高島屋)に《雨間》を出品する。
7月 『朝日新聞』夕刊連載のドナルド・キーン「百代の過客日記にみる日本人」(金関寿夫訳)の挿絵を制作する。(4日から1984年4月13日まで185回連載される)。この年、外務省の依頼により《牡丹》《菖蒲》を制作、中曽根総理大臣のASEAN諸国訪問にあたり《牡丹》がフィリピン政府に、《菖蒲》がマレーシア政府に寄贈される。
1984年(昭和59年) 47歳
3月 政府依頼による壁画《梅紅白》の制作準備のためカナダを訪れる。壁画《梅紅白》は10月に完成、カナダに送られる。
6月 第6回日本秀作美術展に《雨間》が選ばれ出品される。日本画・その明日への展望展<前期>(池袋・西武アートフォーラム)に《環》を出品する。牧進展<春夏秋冬>が名古屋・松坂屋本店で開催され、34点を出品、川端康成書《春夏秋冬》が特別 出品される。
11月 『牧進画集』が講談社から刊行される。
1985年(昭和60年) 48歳
2月 世界各地巡回の現代日本画展に《雫》を出品、その旅立ち展(東京・ワコール麹町ビル)が開催される。1987年11月までパリ、ストックホルム、バルセロナ、ロンドン、ロサンゼルスなどを巡回、1987年1月に帰国展(南青山・スパイラルホール)を開催する。
6月 四季の美を描く牧進展<昭和世代を代表する作家シリーズ・3>が新宿・伊勢丹美術館で開催され、代表作を中心に初期の《白薔薇》から新作《木叢》《朝靄》にいたる74点と素描16点が出品される。9月まで名古屋・大阪を巡回するフジテレビ番組「テレビ美術館」に出演、放映される。
7月 諸外国との友好親善の功績により外務大臣から表彰される。
12月 第17回潮音会に《冬近し》を出品する。
1986年(昭和61年) 49歳
3月 詩・季・彩三人展<岡信孝・牧進・坪内滄明>が日本橋・三越本店で開催される。
4月 第1回現代作家美術展<現美展>(東京美術倶楽部)に《朝立つ》を出品、以後出品を重ねる。
5月 第8回日本秀作美術展に《木叢》が選ばれ出品される。素描<花>100点を財団法人美術文化振興協会に寄贈する。
6月 素描<花>100点の寄贈を記念して牧進百花素描展が日本橋・三越本店で開催される。8月まで大阪と札幌を巡回する。『牧進百花素描』が京都書院から刊行される。
7月 外務省の依頼によるパリ日本大使公邸壁画《翔》の制作のためフランスを訪れ、完成する。
10月 『朝日新聞』夕刊連載のドナルド・キーン「続百足の過客日記にみる日本人」(金関寿夫訳)の挿絵を制作する(13日から1987年10月29日まで234回連載される)。
12月 題18回潮音会に《爽春》を出品する。
1988年(昭和63年) 51歳
1月 日本テレビ番組「美の世界」に出演、放映される。
3月 <川端康成没後15周年>川端文学 花を描く 牧進展が日本橋・三越本店で開催され、「名人」「雪国」「眠れる美女」などの川端文学の<花>を描いた新作30点を出品。
12月 第20回潮音会に《春動く》を出品する。
1989年(昭和64・平成元年) 52歳
2月 現代の日本画展<高島屋美術部創設80周年記念>(日本橋・高島屋)に《花王紅白》を出品する。
10月 現代日本画展<ユーロパリア1989ジャパン>(ベルギー、ブリュージュ市プロビンシャル・ホーフ)に《環》が出品される。
12月 第21回潮音会に《野道》を出品する。この年、郵政省の依頼により平成2年年賀状(全国版)の原画《実南天》を制作する。
1990年(平成2年) 53歳
1月 ユーロパリアジャパン帰朝記念 現代日本画展(日本橋・三越本店)に《環》が出品される。
4月 国際花と緑の博覧会 花と緑・日本画美術館(大阪・鶴見緑地)に《浅き春》が出品される。のち花と緑・日本画美術館展として全国を巡回する。日本画・雨と余情(埼玉 県立近代美術館)に《雨間》が出品される。
7月 名古屋・御園座の緞帳原画《喜久遊舞》を制作、完成する。
11月 挿絵集『邂逅の日々』が成川美術館から刊行される。挿絵集「邂逅の日々」展が箱根・芦ノ湖 成川美術館で開催される。
12月 第22回潮音会に《秋稼》を出品する。
1991年(平成3年) 54歳
1月 春夏秋冬 生命の詩 牧進展が村越画廊で開催され、20点を出品する。
5月 現代日本絵画展(北京・故宮博物院)に《閑》を出品する。出品作家らによる中国訪問団の一員として北京を訪れる。この展覧会は6月に日本橋・三越本店で開催される。
8月 歌舞伎座の壁画を制作、完成する。
9月 紅葉を描く日本画名作展(上野・松坂屋)に《竹林の四季、暮秋の頃》《惜秋》が出品される。裏磐梯猫魔ホテルの壁画を制作、完成する。
12月 第23回潮音会に《駘蕩》を出品する。
1992年(平成4年) 55歳
1月 現代日本画名作展(銀座・松屋)に《朝姿》《冬ざれ》《荒瘠》<箱根・芦ノ湖 成川美術館所蔵>が出品される。
2月 小平公会堂「ルネ・こだいら」の緞帳原画《飛翔大空図》を制作、完成する。
6月 第14回日本秀作美術展に《荒瘠》が選ばれ出品される。
10月 東美特別展・中国陶器と現代日本画、木彫展(新橋・東京美術倶楽部、銀座・小林画廊)に《秋の七草》《憧憬》を出品する。
12月 第24回潮音会に《春永》を出品する。
1994年(平成6年) 57歳
10月 牧進展<日本のこころ-四季との巡り合い>が銀座・松屋で開催され、代表作を中心に、初期から近作に至る57点と新作《再喜樹宴》《彩 池静苑》など4点、あわせて61点が出品される。
11月 牧進展<日本のこころ-四季との巡り合い>が名古屋・丸栄スカイルに巡回する。
1995年(平成7年) 58歳
3月 第26回潮音会に《桜時》を出品する。
1996年(平成8年) 59歳
3月 牧進展が箱根・芦ノ湖 成川美術館で開催され、成川美術館所蔵の近作28点と《枯寒野》《庭春朗景》など新作7点が出品される。
1997年(平成9年) 60歳
5月 牧進展がパリ三越エトワールで開催される。
9月 パリ展帰国記念 -日本の四季- 牧進展 が、日本橋・三越本店で開催される。